| 1983(昭和58年) | 川崎平和野球連盟を母体とし、当時毎日新聞川崎支局長だった故中楯俊家氏の力添えもあって「川崎クラブ」が設立された。結団式は川崎警察署講堂を借りて行なった。 |
| 1984(昭和59年) | 日本野球連盟に正式登録。川崎球場で行われた第55回都市対抗県予選では、チーム結成してからの初勝利(神奈川クラブに10−4)をあげる。 |
| 1985(昭和60年) | 遼寧省阜新市の招待で初の海外遠征。市内の子供たちへの野球指導と大連の高校生チームとの親善試合を行なう。野球道具2チーム分の土産は大変喜ばれた。総勢33名の部員のうち中楯総監督以下17人が参加したが、その後のチームづくりに大きく役立った。 |
| 1990(平成2年) | 都市対抗県予選、川崎クラブの試合に川崎平和野球連盟ジュニア部の子供たち40名を招待する。 |
| 1992(平成4年) | 川崎市に根づいた市民クラブを願い、「全川崎クラブ」と改称。 |
| 1994(平成6年) | 川崎市政70周年記念野球リレーマラソン大会に参加。川崎市内の少年から還暦までの野球チームが等々力球場に集まり、32時間にわたる大会の最終試合を飾った。 |
| 1994(平成6年) | 川崎市の姉妹都市、オーストラリア・ウーロンゴン市にチームとして2回目の海外遠征。シドニーのメジャーリーグに参戦する現地のチーム「イラワラ・フレーム」と2試合(1勝1敗)を行った。第2試合で好投した志田満投手がMVPを受賞。この海外遠征によって、帰国後、横浜スタジアムで行われた日本選手権大会県予選やその後のチームづくりに予想以上の遠征効果があった。 |
| 2001(平成13年) | 神奈川県ベストナイン特別賞に石渡正選手が選出された。 |
| 2003(平成15年) | 第22回JABA関越大会優勝。創部20周年にあたる記念の年に花を添えた。 |
| 第12回JABA山梨県知事杯争奪社会人クラブ野球関東甲信越大会準優勝。 | |
| 横浜スタジアムで行われた都市対抗県予選に平和連盟の子供たちを招待。 | |
| 2004(平成16年) | 川崎市民祭りで行ったスピードガン計測のボランティアに参加する。 1日約250人、3日で750〜800名の子供たちや市民が楽しんだ。 |
| 神奈川県ベストナイン特別賞に中嶌竜平選手が選出された。 |


